「忠良せんせい 古里に触れる」は、彫刻家・佐藤忠良先生が、生まれ故郷、宮城県大和町を訪ね、また先生のアトリエで彫刻に対する姿勢や自然へのいたわりなど自然体で過ごす姿をできる限り忠実に再現しました。
本の制作にあたり、地域関連産業の振興に寄与しているインテリジェント・コスモス研究機構が、みやぎ国体の開催で宮城県が内外から注目を集めているなか、 国体参加章を制作し、宮城県美術館名誉館長を務める佐藤忠良先生にスポットをあて、企画編集した社会科学分野初の一冊です。

「つたえたい。」 ~佐藤忠良~

忠良せんせい18 歳で美術を志し、22歳で初めて粘土を手にして彫刻に身を投じたのだったが、この原始的な作業の周囲にも便利といえる表現作業が広がり出し、このことを一 概に疎外するべきではないかも知れないが、今どき私どものやっている彫刻作業ほど原始的な作業はだんだんと少なくなっているかも知れない。
自分の貧しい体験ながら70年に近い私の彫刻作業で思い知られたことは、チラチラと眼の前を過ぎる便利さに眼と手が奪われながら作品らしくなり終えること である。ともあれ、私たちが今も生物であることに変わりは無いのだから、その生物としての触覚感が便利さのために希薄になりつつあることを、自分の仕事と 思い併せるこのごろである。
爺さんの呟きになるのかも知れないけれども、次の世代への願いはもっと生物の原点に立って、身体をいじめながらものごとに立ち向かい、失敗毎に足を踏み直して恥をかき、汗を流しながら何度もやり直してみることが、確信への一歩になってくれることを伝えたい思いである。

<略歴>

1912年 宮城県黒川郡落合村(現大和町)舞野に生まれる。
1917年 伊具郡丸森町の父の実家へ移る。
1919年 前年父が死去したため、母、弟とともに北海道夕張へ移る。以後、小・中学校を北海道で過ごす。
1932年 絵画勉強のため上京。西欧近代彫刻に接するうちに彫刻家を目ざすようになる。
1934年 東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科に入学。
1939年 卒業と同時に、新制作派協会彫刻部の創立に参加。
1944年 召集され、満洲に配属される。翌年終戦を迎え、3年間シベリアに抑留される。
1952年 この年新制作展に出品した「群馬の人」が高い評価を受け、翌年国立近代美術館に収蔵される。
1974年 第15回毎日芸術賞を受賞。芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1981年 フランス国立ロダン美術館の招請で個展を開催。フランス・アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙される。
1984年 ローマ・アカデミア・ディ・サン=ルカの会員に推挙される。
1990年 宮城県美術館に佐藤忠良記念館が開設。
2000年 宮城県美術館名誉館長に就任。

刊行にあたって

当社は、東北地域の産・学・官が一体となり提唱した「東北インテリジェント・コスモス構想」を中核的・戦略的に推進する第三セクターとして平成元年 に設立されました。以来、東北7県に14の研究開発会社の設立と実用化・事業化支援を行い、平成9年度からは地域大学や企業が共同研究体を組み事業化をめ ざす11プロジェクトの管理法人を務めるなど、産業振興や地域開発に努力を続けています。しかしそれらは、工学や情報通信、生物系など自然科学の先端分野 が殆どで、かねて人文・社会科学分野での事業が望まれており、今回の企画はこれに応える初めての試みです。
企画の基本コンセプトとして「東北ゆかりのテーマや人物で、全国や世界に向けた情報発信にふさわしい、或いは地域の多くの人々に知って欲しいなど内容を 伴った具体性のあるもの」としました。今回採りあげる佐藤忠良氏は現代日本を代表する世界的な具象彫刻家で、「群馬の人」「帽子・夏」など日本彫刻史にエ ポックを画す代表作をはじめ、先生の作品は国内外多くの人々に愛されています。
本企画はそうした先生の作品紹介ではなく、心と眼と手で触りつくられる彫刻の本質たる「触覚感」を底流基調に、昨年10月、宮城県大和町の古里へ先生に脚 を運びいただくと共に、東京杉並のアトリエで将来のマルチメディア出版にも配慮したロケやインタビューを敢行し、そのなかで長年の創作活動を通してのさま ざまな想いをコンパクトにまとめたものです。制作編集に際して、インタビュー時の先生の口調や臨場感に近付けるために口語体とし、写真やデザインなど視覚 表現に重点をおいた、見て楽しくわかりやすい写真絵本風に仕上げました。本書が先生と先生の作品のより一層の理解、並びに皆様ご自身にとってもそれぞれお 役に立てれば、とても嬉しく存じます。

平成13年8月(株)インテリジェント・コスモス研究機構 企画編集委員会
代表取締役社長 石田名香雄

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