地元商店街は競争社会をどう生き抜く?

「Senkey1・2001」2000年12月掲載

act1:迫るアメリカン・スタンダード

政府は、3月の月例経済報告でとうとうデフレ状態にあることを認めた。現在の経済の仕組み自体が、ある程度の物価上昇を前提に成り立っていることを考えると、政府自身が、全く未知の世界にいることを認めたということである。
インフレと言うと、ピンとくる方は多いと思うが、デフレとなると、「どうも・・・」という方が多いのではないだろうか。インフレは悪だ、という考え方が一般的に広まっている現状を考えると、むしろ何故、持続的な物価の下落が問題なのかという方もいるかもしれない。
生活者としては、物価の下落はむしろ望ましいことである。ただし、それは収入が一定か、あるいは上昇している時の話である。広い意味での物価が、賃金水準も含むことを考えるとデフレの罪悪について理解しやすいかもしれない。
別の見方をすると、モノとカネのバランスが崩れてしまい、まっとうな経済活動が成り立たなくなっていると見ることが出来る。お金=現金の価値が高まりすぎているのだ。持続的に物価が下落するということは、何もしないで実質的な現金の価値が増すことを意味している。なお恐ろしいのは、借りたお金の価値さえも増してしまうことである。たとえ、0%の金利でお金を借りたとしても実質的な負担は日々増加していく。活発な経済活動は、現金をモノに変える行為、つまり消費活動や投資活動によってもたらされる。現金が一番ということになれば、いくら企業が魅力的な商品やサービスを提供したとしても消費者の財布の紐は堅いままであろう。
インフレは行き過ぎたスピードが問題になるが、デフレは、起こってしまったこと自体が問題なのだ。
正直言って、地方の一企業や商店街が金融政策云々で議論しても、どうにかなるものではない。金融政策は、外的要因そのものであり、自助努力の範囲を超えている。これまで、このコーナーで取り上げなかったのも、そうした意味合いからである。しかし、状況は一変した。日本銀行は、ゼロ金利回帰と量的緩和に踏み切った上で、この金融緩和を物価が上昇するまで継続的に行うとした。日銀の使命が「物価の安定」にある以上、物価の下落に対しても戦うという意志表示であるが、インフレとの戦いの歴史を考えると、大英断であり、最後のカードを切ったわけである。
ボールは、民間企業サイドに投げ返された。カネの価値に勝る商品やサービスを提供すれば、報われる状況が整いつつあるわけだ。いつまでも現金に王様の地位を与えておくわけにはいかない。

act2:全国で進む中心街の地盤沈下

現状は、何十年に一度の大きな構造調整のまっただ中にあるのかもしれない。このような状況の中で、あぶり出されてきた問題の一つが、中心市街地の地盤沈下の問題である。
中心市街地の問題は、なにも仙台だけの問題ではない。むしろ、全国的な現象と言え、郡山や福島に比べると問題の深刻さの度合いは、比較的軽微と言えるかもしれない。だからといって、安心していいということにはならない。ここで重要なのは、全国的な問題であるという点である。まさに、バブル崩壊と自由化の進展という、大きな流れのなかで出てきた問題であり、仙台固有の問題ではないということである。
言い換えれば、メガ・コンペティションが中心市街地の地盤沈下を引き起こしたといっても過言ではないのである。地元商店街の人々は、グローバル・スタンダードであるとかメガ・コンペティションなどは、自分たちの商売とは無縁だと思っていた人がほとんどであろう。仕入先にしても、お客さんにしても、ほとんど国内にあるのだから。
それでも、大きな流れは、国際経済の場で方向付けされている事を忘れてはならないだろう。国内産業に対する競争原理の導入は、国策とも言えるものである。国際的に非常に強い競争力を持つ国際企業と、中小企業を中心とした国内企業の格差は、他の国にはない程大きい。この格差を縮小させようと国内産業に競争原理を導入しようとしているのである。詳しくは、紙面の都合もあるので他に譲るが、実は、この内々格差は、内外価格差にも結びついている問題であり、経済白書などでも再三指摘している事である。
冒頭で、景況感の二極化の話を引き合いに出したが、今回、これほどまでに景況感の格差が出ている原因の一つが、国内産業に対する競争原理の導入であることは間違いない。競争力がない事業者に対しては、市場からの退出をお願いすると公言しているようなものである。中小企業支援策は、いくつか出しているが、保護政策から競争主義への転換は、そのような小手先の対策で覆いきれるものではない。むしろ、競争主義への転換を明確にした政策を準備していると考えた方が良さそうである。
もちろん、メガ・コンペティションに伴う競争主義の進展だけが中心市街地の問題を引き起こした訳ではない。もう一つの重要な背景として、人口動態上の問題が挙げられる。この問題も、中心市街地に容赦なく逆風を吹き付けてくる。中心市街地の人口構成が高齢化する一方で、仙台郊外では若年人口の伸びが期待できる。いきおい、商業活動も郊外化することになる。自動車の普及と住宅の郊外化は、競争激化の中にあって中心市街地にとって逆風になることはあっても、追い風にはなり得ない。便利さ・品揃え・価格の面で勝利したものだけが消費者の心と財布をつかむことになる。消費者にとっては、中心市街地の問題など意識にないので、単に、便利な方、楽しい方、安い方に足が向くだけである。つまり、住居の郊外化やモータリゼーションの進展は、逆風には違いないが、競争を優位に進められれば、脅威にはならないこともまた確かである。郊外化の問題は、自由化や競争主義の導入と一体となって初めて、中心市街地の地盤沈下の問題を引き起こしているのである。
忘れてはならないのは、消費者の利益になっていれば、一般的にはその政策は支持されるという事であり、行政も地元事業者の方ばかり向いていられないということである。競争を人為的に制限する事はますます難しくなってきている。
いうまでもなく中心市街地活性化は、国の政策でもあり、仙台市も平成12年4月に基本計画を提出している。この基本計画の中で、仙台の地元商店街について次のような現状分析を行っている。

・・・「一番町・青葉通を中心とする仙台駅西地区において、商業・業務をはじめとする各種の都市機能が集積しているが、近年の人口減少、商品販売額の低下、来街者数・観光客数の伸び悩み等からくる停滞化傾向が現われ、今後の仙台駅東地区を含めた市街地の整備改善を機に都市機能の更新が求められている。」・・・

つまり、行政サイドとしては、人口動態上、中心市街地において若年人口が減少していること、自由化、競争主義の導入によって、中心市街地が苦戦していることは、十分現状認識できている訳である。
ここでの処方箋は、もはや競争を人為的に制限しようというものではなく、いかに魅力的な街づくりをしていこうかという点に絞られる。すでに競争主義を内在化させた政策運営が行われていると考えられる。

act3:世界に通用するタックル力を持て

経済全体のなかで中小事業者の現状を把握し、中心市街地の停滞を考えるなかで、中小事業者が景気の回復感を実感できない理由が、わかってきたのではなかろうか。これまでの景気循環とは、前提が違うのである。
つまり、景気が回復すれば、全体が恩恵を受けるという従来型の回復は考えにくい。景気回復は、外部的な要素ではなくなってきている。よく、「景気が悪いから業績が良くない」という声を耳にするが、この言葉が景気の外部性を表している。今次の景気回復は、自らが勝ち取る部分が多くなろう。つまり、度重なる企業努力の連続によって業績の回復を達成したとき、気づいてみたら一般的にも景気回復だと言われていたといった具合である。一方で、これまでのやり方を続け、景気が回復することをじっと待っていた業者は、おそらく、いつまでも回復の実感を受けることはできないのだろう。
これまでと、ルールが違うという点は、やはり大きい。たとえば何かゲームをしていると考えればわかりやすい。あるゲームで、これまで国内試合ではタックルが禁止されていたとしよう。それが、世界的には常識だという理由でタックルできる事になった。当然、勝つためにはタックルをしなければならない。変化への適応性がないところは、リーグからの退出を余儀なくされるはずである。一方で、タックルに磨きをかけたところは、世界に打って出ることも可能になるかもしれない。
メガ・コンペティションの時代には競争の圧力は、嫌でもやってくる。変化を拒む事はもうできないのである。むしろ、変化を先取りした仕掛けをどう作るかが問われている。日本の国内産業における競争主義の導入に関しては、賛否両論あるし、個人的にアメリカン・スタンダードがグローバル・スタンダードで良いとも思わない。しかし、勝てば官軍である。流れがそうである以上、その枠組みのなかで勝負せざるを得ないのである。新たな、グローバル・スタンダードの構築を目指して。