キャリアデザインとは

東北大学経済学部「CARREER Design」掲載

act1:プラスの効用を得られる仕事

仕事選び、キャリア・デザインとは、人生設計そのものである。つまり、どういう仕事を選んだかで、生き方そのものが決まってくる。生き方というと少々大げさかもしれないが、仕事によってその人の生活パターンは大きく左右される。ある人は、ほとんどの時間を働くことに費やすかもしれないし、ある人は、余暇の時間が非常に多いかもしれない。
経済学的には、最小の労働投入で最大の効用をもたらす選択が最適とされる。しかし、この「効用」というのがくせ者である。「働く」という行為には少なくとも二つの側面がある。一つは、収入を得る手段であるという側面。学生諸君の多くはアルバイトの経験があるだろうが、多くのバイトは、収入を得る手段でしかない。ここでは、「働く」という行為は、余暇とトレード・オフの関係にあり、マイナスの効用しかもたらさない。
一方で「働く」という行為には、自己実現の側面がある。近頃は、少々軽視されているかもしれないが、「やりがい」というやつである。こちらは、間違いなくプラスの効用をもたらす。経済理論は、単純化とある程度大胆な前提に基づいて展開されるが、現実の経済や人間の満足度合いは、それほど簡単ではない。寝る間も惜しんで働いている人の中には、非常に大きな満足感を感じている人がいるかもしれないし、労働投入の割に高い賃金を受け取っている人が本当の意味で幸せかどうかはわからない。近年、特にバブル以降に余暇を楽しむために働く、という考え方が主流になってきている。欧米流のゆとりの生活といえば聞こえはいいが、長らく日本人の美徳とされた勤勉さが崩壊しているとも言われている。やりがいを感じない仕事に、プロ意識は育ちにくいものであろう。逆に、欧米のエグゼクティブは、日本の管理職よりも勤勉に働くということも、よく知られるところである。
少なくとも言えることは、どうせ働くのならプラスの効用を得られる仕事をやらなければ、損だということである。学生のみなさんには、是非「やりがい」を意識した仕事選びを実践していただきたい。

act2:たくましく生きる手段をデザイン

ここら辺で、私自身について簡単に説明しておこう。私は、鴨池ゼミで金融を勉強した後、生命保険会社に入社、その後、日経センターや生保系のシンクタンクでマクロ経済の分析を行っていた。というわけで、順調に(?)サラリーマン・エコノミストとしての道を歩んでいたわけである。経済分析自体は、とてもクリエイティブな仕事で、非常にやりがいを感じていたし、おもしろかった。若い頃は、徹夜で推計式と格闘するなんてこともよくあった。そういう意味では、寝る間を惜しんで働いていたけど、効用は高かった例とも言える。
ところが、ある日エコノミストを辞めて、中小企業の社長を務めることになったのである。きっかけは、中小企業にありがちな家庭の事情である。正直、自分自身の中で非常に悩んだ。全く知らない世界に飛び込まなくてはならないリスク。これまで積み上げてきたものを捨てなくてはいけない恐怖。一方で、会社を経営するということの魅力。これらの間で心は揺れ、眠れない夜もしばらく続いた。しかし、いずれ自分自身の中で1つの結論にたどり着いた。

「どこで働こうが自分次第だな・・・」

自分自身さえしっかりした考えを持って取り組めば、またその仕事をやり遂げる強い意志があれば、道は開けるのではないかと考えたのである。ハイリスクであっても、自分の考えや自分の手腕で状況を変えられる割合が大きいのであれば、リスクは最小とも考えられる。また、東京で働く豊かさと仙台で働く豊かさの違い、家族、家庭を大切にすることの尊さ等、総合的に考えて、仙台に帰って来たわけである。
結果的にどっちが良かったのかまだわからないが、自分自身では、キャリア・アップが果たせたのではないかと感じている。関係ない業種間の転職ではあるものの、その過程において、少々たくましくなれたかなと思うのである。
キャリア・デザインといっても、私自身の考え方では、打算的に、あの資格をとって云々ということは二次的な問題に過ぎないような気がする。問題は、いかに自分自身を磨いていくか、自分自身を高めていくかということにつきる。寄らば大樹の陰という考え方が通用しないように、寄らば資格取得という考えも通用しない。資格はツールに過ぎないからである。その資格を取って何をやりたいのかが、自分の中でしっくりこなければ、資格に振り回されるだけになってしまう。
みなさんにとっての具体的キャリア・デザインは、その時その時で変わってくるものかもしれない。ただ、たくましく生きる手段をデザインできれば、それが最高のキャリア・デザインに成りうるではないかと思う。