中小企業の役割とは(1)

第一生命経済研究所レポート「中小企業アイ」 2005年4月号掲載

痛みを伴う構造改革の結末は

ここ数年、日本経済が甘んじて受けてきた痛みを簡単におさらいしてみよう。不良債権問題に端を発した金融機関の統合整理では、本来必要とされる金融機能までもが機能不全に陥り、多くの企業が影響を受けた。また、この余波では多くのゴルフ場やいくつかの金融機関は、割安といわれる価格で海外資本のものになっていった。雇用問題についても、リストラという言葉が、本来とは違った意味で使われ、これまでに日本経済が経験しなかったくらいの人員削減が行われた。痛みを受けたのは、やはり弱者である。企業間取引においては、長年の信頼関係よりもコストカットが重視される風潮が支配的となり、大幅な取引条件の見直しが行われた。これらの痛みの中には、当然乗り越えなければならなかったものも多いだろうが、痛みの負担感という意味では、中小企業にしわよせがきていた感が強い。
一方で、海外での事業展開を主軸にとらえる大手の製造業にとって、国内経済の自律的な回復はさほど重要な問題ではないように思える。売れるものを売れるところで作るモデルが確立しているからである。国内で売れないのならば海外で売ればいいだけの話である。しかも、さまざまな摩擦を避けるためや当該国の雇用確保ひいては経済成長のためには、現地生産をすることが望ましい。国内経済の生産・分配・支出の循環とは関係ないところで好循環を持続できるのである。
大企業を中心とする景気回復局面は、まだ続いているらしいが、夏場以降の中小企業はほとんど景気後退期と変わらない状況である。痛みを伴った構造改革の一応の結末は、強者と弱者の格差拡大と、都市部と地方の所得格差拡大、そしてそのこと自体を正当化する競争至上主義の蔓延である。

地域の活性化は社会問題ではない

競争原理を前面に押し出してすべてを資本の論理や株価で説明することは、短絡的なだけにわかりやすい。しかし、一国経済の持続的な発展を考えたとき、本当にそれだけで良いのだろうかということになる。競争原理や市場の機能を軽視したり否定するわけではない。ただ単純に中小企業が耐えてきた痛みはすべて不可避だったのかという疑問である。資本の論理や価格競争力からは中小企業に勝つ要素は少ない。知恵で勝負だという意見も聞こえてきそうだが、すべての中小企業に対立の構図のなかで競争を勝ち抜く知恵があるとは考えにくい。もちろん知恵があるに越したことはないが、勝ち残ることだけを目標に据えたとき、やはり無理がある。
それでは、勝ち残れない中小企業は必要ないのか?
その問いに答えるスタンスこそが、ポスト競争至上主義の入り口であるように思える。地方経済の疲弊や強者と弱者の格差拡大を一応の結末として、改めて地域の活性化を考える時期に来ているのかもしれない。そして、この問題は、政治的な問題や社会問題ではなく、れっきとした経済問題として捉える必要がある。

(次号に続く)