中小企業の役割とは(2)

第一生命経済研究所レポート「中小企業アイ」 2005年5月号掲載

わかりやすさに潜む危険

前回の稿の中で、「勝ち残れない中小企業は必要ないのか?」この問いに答えるスタンスこそが、ポスト競争至上主義の入り口であると書かせていただいた。競争原理を前面に押し出せば、当然のことながら、競争に勝ち残れない企業は必要ないという単純明快な答えが導き出されるだろう。必要とされていないから競争に勝ち残れなかったのだという、大変わかりやすいロジックが展開されるわけである。もちろん基本的には、企業経営をしていく上で無視できない基本的な原理原則であることには違いない。
しかし、あくまでも基本的な原則に過ぎないのである。経済学の教科書に出てくる需要と供給の関係も、I-S曲線、L-M曲線も、基本的な原則を示しているだけで、必ずしも現実の経済にそのまま当てはまるものではない。同様に、わかりやすい基本原則を現実の経済にそのまま当てはめて、経済運営を行おうとする危うさをこの手の競争至上主義的な考え方に感じずにはいられない。決して市場の機能を否定するつもりはない。ただし、市場がある程度効率的であればの話である。つまり、ルールが整備され、情報の非対称性がさほど存在しない状況では、大変有効であることは間違いない。しかし、比較的環境整備が行われているとされる株式等の金融マーケットにおいてさえ、合理的な説明を行えないアノマリーが存在することや、ルールの隙間をぬって予想外のことが起こることを考えれば、経済全般に対して効率的な市場を期待することは、あまりにも過剰な期待であるといわざるを得ない。

ポスト競争主義

先ほどの問いを、角度を変えて再度質問するとずいぶんと様子は変わってくるような気がする。たとえば、「シャッターで閉ざされている地方の中心市街地商店街は本当に必要なかったか」との問いにはいかがだろうか? シャッター通りと揶揄されることもある地方の商店街は、競争の中で残念ながら勝ち残れなかった中小零細企業の集合体である。確かに、企業努力が大手のショッピングセンターに比べて足りなかった面もあるだろうし、時代の流れの中でやむを得ないと片付けることもできるかもしれない。
しかし、立ち止まって考えたときに、商店街の機能とは、消費者が買い物をするという面だけではないことに気がつく。地域の文化の担い手であり、商品や材料の仕入主だったり、雇用主でもある。言うなれば、地元経済の循環の中心だったことに気がつく。結果的には、消費者は、なくなって初めて、そういうことに気付くケースがほとんどであろう。消費者は地域経済の活性化は望んでいるものの、自分の行動がそれを阻害していることまで意識しているわけではなかろう。
結果的には、単純な競争主義が地域の内需の循環効果を軽視したがために、地方経済そのものを落ち込ませているのかもしれない。外需頼みの景気回復がいかに脆弱なものかは、現在の状況を見れば一目瞭然である。競争主義の後にあるものは、地域経済活性化を軸とした内需の拡大ではなかろうか?短期的な消費者の利益だけではなく、地域に暮らす人々(消費者)が中長期的に豊かになれる新しい経済運営の基本スタンスが望まれる。