一極集中と経済格差

第一生命経済研究所レポート「中小企業アイ」 2006年5月号掲載

何をして格差とするか

経済格差の問題を議論するときにまず語られるのがジニ係数である。なじみのない方もいるかもしれないが、一人(or一世帯)当たりの所得の分布を示す指標で0に近ければ格差が少なく、1に近づけば格差が大きいというものである。格差問題を定量的にとらえるツールとしては、最もポピュラーのものだが、問題がないわけではない。客観的な数値のように見えるが、あくまで加工データであるため、元になる所得を示す統計によって、あるいは統計数値の処理方法の違いによって結果が違ってくることがあるのだ。そのため、論者の主観によって同じ時期のジニ係数について語っているはずなのに、かたや格差拡大、かたや格差縮小ということにもなりかねないのである。
現在の格差拡大論議の中でも、しばしばジニ係数が取り上げられることがあるが、同じ状況が現れているようである。イタリアの統計学者ジニさんには申し訳ないが、不幸なことにジニ係数論議は水掛け論的な様相を呈することが多いようだ。高度な統計処理もさることながら、統計の生の数字に着目した方が、議論は進展するのではないかと思われる。その意味では、所得の源泉となる雇用関連の地域間比較、生産状況の地域間比較は、格差を見るうえでは重要な指標だといえる。
そして、これらの指標の多くは地域間格差の拡大を示している。
もうひとつ忘れてはならないのが、所得以外の要素をどう考えるかである。情報の集積や、本支店間の決裁権限や役割の推移、そして都市としての魅力=ソフトパワー等である。言い換えれば所得(カネ)のみならず人や情報の集中度合いである。これらはもちろんジニ係数には反映されない。一般の人々の実感をあまり軽視しない方がいいと思うのであるが、いかがだろうか。

一極集中の弊害

経済格差とは、狭義には所得の集中度合いのことを指すが、広い意味では人や情報の集中度合いをも含むと考えられる。つまりその意味では、地域間経済格差問題は、一極集中問題と同義である。そして、格差が広がればさらに一極集中が強まり、スパイラル的に格差が広がるという自己増殖性を持つのが特徴である。
一極集中に対する弊害を述べることはたやすい。誰もが思いつくことがたくさんある。通勤時におけるラッシュ、慢性的な交通渋滞、高価な土地、狭い居住空間、災害時のリスク・・・
それでも人々が大都市に向かうのは、それらの弊害があったとしても、魅力の方がより大きいからである。実は、主観的な立場で弊害を述べてもあまり意味が無い。大都市に弊害を感じるのであれば、個人であれ会社であれ、去ればいいだけなのだから。しかし、実際に去る人は少ない。弊害には気付きながらも、納得づくで大都市を選んでいるのである。
より、重要な視点は、社会的な観点である。ローマ帝国の例を持ち出すまでも無く、過度な集中が都市機能を麻痺させることには誰もが気付いている。また、高齢社会における都市の包容力、つまり高齢者を抱え続けることができるのかについても、疑問の余地がある。
何よりも、長期的な経済発展のグランドデザインを民主導で市場にゆだねることが可能なのか、議論がまだまだ必要なのである。重大な問題は、議論なくして、なし崩し的に一極集中戦略が推し進められていることである。