公正な競争の結果か否か

第一生命経済研究所レポート「中小企業アイ」 2006年6月号掲載

格差論議の論点整理

この問題の発端は、政府が正式コメントのなかで「格差は認められない」と発表したことにある。おりしも、二極化であるとか勝ち組・負け組といった経済格差を感じさせる表現が一般的に用いられる環境のなか、多くの人々が違和感を覚えたわけである。その後、統計的な格差の議論も行われるようになり、格差拡大を示す数値、そうではないと主張する数値ともに出される中、決め手となるような客観的な数値は出ていない状況である。前回も述べたように、所得格差を示す指標自体が加工統計であるために、様々な解釈ができるといったところも影響している。
ただ、この統計の取り方であれば格差が拡大したとか、この統計ではそうではないといった議論自体あまり意味があるものとは言えず、本質をより矮小化した議論といえる。つまり、格差拡大が問題になっていること自体をまずもって問題と捉える必要があるのだ。さらに単なるマクロ的な所得格差だけを議論するのではなく、所得格差の原因としてどのような要素があり、それぞれの格差拡大要素がどのような動きをしているのかを見る必要があるのである。たとえば、雇用・所得の安定度の違いによってどのような格差が生じたか、業種間の格差がどのような動きをしているか、企業規模別の格差がどうなったのか、地域間の格差がどうなったのか等、を見る必要があるのである。雇用面や所得面で安定している大組織に属し、都市部に生活している人だけを見て統計上の処理をいくらしても格差拡大の本質を見ることはできず、机上の空論で終わってしまう。
一方で、格差拡大の問題を取り違えると結果平等をよしとする論調に与することになりかねない。ここが重要な点であるが、公正な競争と格差拡大の問題は同時に論じられなければならない。つまり、公正な競争が行われた結果の格差拡大なのかどうかである。

集中か分散か

所得格差の拡大とは、富の一部の層への集中である。ユニークなアイディアや絶え間ない研究は賞賛されるべきもので、そうでないものと比べて当然格差がつくべきものである。格差を容認する論調はこの点を強調する。確かに個人の所得格差を論じる上では個人の努力という要素が大きく影響する。ここ数年で、他の要素は一定で、個人の努力度合いのみ格差が開いたのであれば、所得格差もやむを得ない。一方で、ある一定の層に有利に働くような意図があったのであれば、公正な競争とは言えず、所得格差は容認しがたい。いづれにしてもどちらかと決め付けることは難しい。
一方で、地域間の格差は、個人ベースの議論とは異なり、政策的な意図がより大きな要素となってくる。もちろん、各自治体の自助努力やオリジナリティの要素も多少はあろうが、個人の議論の時ほど決定的な要素ではない。 地域間格差の問題を考えるとき、何らかの意図の結果、一極集中がもたらされたと考えた方が自然である。公正な競争の本質は集中独占ではなく、分散だと考えられるからである。
だとすれば、競争の結果の一人勝ちは、公正な競争の結果もたらされた結果ではなく、強者の論理に基づく自己に有利なルール設定の結果もたらされたものだとも考えられる。今後の日本経済の発展においては、このようなロジックが用いられないことを祈りたい。