モノとカネのバランス

「仙台経済界」2001年5-6月号掲載

 政府は、3月の月例経済報告でとうとうデフレ状態にあることを認めた。現在の経済の仕組み自体が、ある程度の物価上昇を前提に成り立っていることを考えると、政府自身が、全く未知の世界にいることを認めたということである。
 インフレと言うと、ピンとくる方は多いと思うが、デフレとなると、「どうも・・・」という方が多いのではないだろうか。インフレは悪だ、という考え方が一般的に広まっている現状を考えると、むしろ何故、持続的な物価の下落が問題なのかという方もいるかもしれない。
 生活者としては、物価の下落はむしろ望ましいことである。ただし、それは収入が一定か、あるいは上昇している時の話である。広い意味での物価が、賃金水準も含むことを考えるとデフレの罪悪について理解しやすいかもしれない。
 別の見方をすると、モノとカネのバランスが崩れてしまい、まっとうな経済活動が成り立たなくなっていると見ることが出来る。お金=現金の価値が高まりすぎているのだ。持続的に物価が下落するということは、何もしないで実質的な現金の価値が増すことを意味している。なお恐ろしいのは、借りたお金の価値さえも増してしまうことである。たとえ、0%の金利でお金を借りたとしても実質的な負担は日々増加していく。活発な経済活動は、現金をモノに変える行為、つまり消費活動や投資活動によってもたらされる。現金が一番ということになれば、いくら企業が魅力的な商品やサービスを提供したとしても消費者の財布の紐は堅いままであろう。
 インフレは行き過ぎたスピードが問題になるが、デフレは、起こってしまったこと自体が問題なのだ。
 正直言って、地方の一企業や商店街が金融政策云々で議論しても、どうにかなるものではない。金融政策は、外的要因そのものであり、自助努力の範囲を超えている。これまで、このコーナーで取り上げなかったのも、そうした意味合いからである。しかし、状況は一変した。日本銀行は、ゼロ金利回帰と量的緩和に踏み切った上で、この金融緩和を物価が上昇するまで継続的に行うとした。日銀の使命が「物価の安定」にある以上、物価の下落に対しても戦うという意志表示であるが、インフレとの戦いの歴史を考えると、大英断であり、最後のカードを切ったわけである。
 ボールは、民間企業サイドに投げ返された。カネの価値に勝る商品やサービスを提供すれば、報われる状況が整いつつあるわけだ。いつまでも現金に王様の地位を与えておくわけにはいかない。