地方でこそ「俵百俵」

「仙台経済界」2001年9-10月号掲載

本格的な競争社会へ

 「聖域なき構造改革」、自民党は、この錦の旗印の下に参院選を圧勝した。小泉人気の追い風ムードのなかで、我々は国民的な議論として、痛みを伴う抜本的な構造改革を選択したわけである。
 政治的な是非をこの場で議論するつもりはないが、少なくとも経済的には、競争原理が本格的に導入されることを肝に銘じておかなければならない。これまでの日本経済が、いかに非競争的な枠組みのなかで成り立っていたかが、白日の下にさらされるのである。竹中経済財政担当大臣は、有能なエコノミストであり、米国での研究経験も豊富である。米国経済がそうであるように、経済理論の大前提である効率的なマーケットを意識していることは明らかである。
 そこでは、各種の規制や保護政策は否定される。と同時に既得権益が消滅することを意味する。大幅に規制が緩和された流通や金融の分野では、効率化が進むと同時に、旧来のやり方が通用せずに市場から退出せざるを得なかった会社も多い。「聖域なき構造改革」とは、官も含めこの状態がすべての業種、すべての規模の会社や組織に訪れることを意味するのである。

競争時代を生き抜く地方に必要なもの

 地方も、好むと好まざるとも、この大きな時代の流れの中に巻き込まれている。公共投資の大幅な見直しは、建設業の業績を直撃している。とりたてて産業が無い地域では、建設業が主要産業だというところも少なくない。農業に対するスタンスも、基本的には自由化路線である。外国産品に押されて採算が合わない作物も多いと聞く。建設業、農業の不振は、地方の経済そのものの不振を意味する。仙台の街も例外ではない。製造業の割合が低く、流通が主要産業といわれる街において、外資(ここでは地元資本以外という意味で)の攻勢と地元資本の苦戦は明らかである。「地方の時代」というキャッチ・フレーズは、使い古された感があるが、真の意味での地方の自立が求められている。「ふるさと創生」の時のような脳天気な発想は全く通用しないだろう。中央から地方への所得移転がどのような規模で行われているか直視する必要があるし、逆に地方から中央への人材の流出に関しても真剣な議論が必要である。
 小泉首相は、飢えをしのぐために「俵百俵」を使うのではなく、将来を見据えて人材育成のために「俵百俵」を使ったという長岡藩の話を引用するのがお気に入りらしい。いま地方において「俵百俵」の精神が必要とされている。